津久井やまゆり事件の結審に思う

私たち、県・守る会として津久井やまゆり園事件の発生直後に声明を出し、その後は、献花や県主催の式典に参加したり、記者会見を開いたりして事態の推移を注視してまいりました。

今年3月16日の被告植松聖にたいする死刑判決で、一つの区切りを迎えたことになります。

結審した今、何を考えるか、個人的な感想も交え書いてみたいと思います。

(私たちが、裁判を見守る中で考えたことは、最新の会報=2020.3.1発行に論点整理という形で掲載してありますので、このHPの会報欄でぜひお読みください)

被害者および障害を持つ当事者の立場からの視点は、充分であったか

新聞やTVでは多くの識者が登場、事件や被告についていろいろな論評をしました。

その多くは、というより大半は、植松被告の言っていることや、特異な人物を何とか理解しようとするコメントだったように思います。

私たちが抗議書を送った神奈川新聞では東大教授の名前を借りて、被告の考えが「ニーチェこそ近い」とまで解説して見せました。

犯行後、犯人が拘置所で読んだ漫画本で初めて知ったニーチェと結びつける意味がどこにあるのでしょう。

犯人と面会した作家辺見庸氏は、その後のインタビューで犯人のことを「さとくん」(植松の名前は聖=さとし)とまで呼んだ上、私たちが彼と同じような過ちを犯しうると気づくべきだと言っています。

私が、被害者であったら、あるいはその家族であったら、絶対に彼のことを「さとくん」とは呼ばないでしょう。また普通の人間であったら、相手が障害者だからという理由で殺人を犯さないでしょう。まして19名をやです。少なくとも辺見氏の言う「私たち」に、「私」を含めてほしくないものです。

以上の例は、極端な例かもしれませんが、私が強い違和感を持つのは、そこに被害者や、もしかしたら被害にあったのが自分だったかもと恐怖感におびえる障害者に対する視点が全く欠落していることです。

また、裁判でなぜこの事件が起きたのかが明らかにされなかったとして、裁判を批判する論者もいます。もちろんこのような事件を起こさないための原因究明が満足に行われたかという議論はあってもよいと思いますが、裁判批判論者の多くは、死刑反対の立場からと、植松の犯行動機解明が不十分だったという理由によるものです。

また彼には生き続けて、彼の主張が本当に正しかったのか本人に向き合ってもらいたかったと言う人もいます。

終身刑のない日本で、たとえ無期懲役でも10~15年で釈放されてしまう現実を踏まえたらとても現実的な提案とは思えません。

今でも英雄気取りでいる犯人に、これから先、何年も「重度障害者に基本的人権はない」と主張させ、それを得意げに(例え批判的な観点からであっても)解説して見せる識者、あるいはそれを取り上げる報道に、重い障害を持つ人はおびえ続けなければいけないのかと思ってしまうのです。

事件が再び起きないようにするには

犯人植松聖の犯行の理由は、結局のところ「恰好良くなりたかったから」ということのようです。

また、ネット上で無責任な言辞をはく連中の中には、「彼はでかいことをした」と彼を認めるような輩がいます。

今回のような事は、老人福祉施設でも、路上無差別殺傷事件でも起きています。

彼のやったこと、50人近い人間一人一人を刃物で何度も何度も刺して殺したり、傷つけたりするということがどれほどひどいことなのか、また、彼のレベルまで下げていえば、彼のやったことがどれほど格好悪いことなのか、彼が今どのくらい無様なのかを、事実として伝えることこそが、そのような付和雷同者を生まない最大の策になるのではないのでしょうか。

障害者に対する差別が今回の事件を生んだと、言う人がいます。

広く言えばそういうこともあるかもしれませんが、たとえ差別意識をもっている人でも、その相手を刃物で刺すことはしません。今回の事件は、障害を持つ方を怖がらせたのです。そして結審した今でも、その方たちの恐怖感は消えていません。

絶対にあってはならない事件なのです。

そのことを肝に銘じて、再び起こさないためにはどうすればよいのか、被害者および、もしかしたら自分も彼の殺戮対象なのかもしれないとおびえる重い障害を持つ方の目線を忘れずに、社会として、また、たまたま重心を家族に持つ私たちも当事者の一員として、真剣に考えていかなければならないでしょう。

中村紀夫