施設不要論について思うこと

平成21年、「障がい者制度改革推進本部」が設置され、障がい者制度改革推進会議総合福祉部会に、全国守る会の北浦会長が委員として参画されました。

その部会に参集された委員の方々のなかから「重症児者本人の意思確認をせずに施設へ入所させるのは、人権侵害である」「重症児者施設は解体すべき」「どんなに重い障害があっても地域の中で生活すべきである」と このような意見が出されました。「重症児者の大切な命は医療設備の整った施設でしか守れない」「重症児者の生きていく生活の場の選択肢の一つとして施設はあるべき」守る会発足から50年、施設の大切さや必要性を訴え運動を重ねてきた親たちにとっては驚天動地の衝撃でした。

この「施設不要論」に危機感を持たれた北浦会長は、すぐさま施設存続を訴える署名活動を指示されました。全国守る会会員12000名に於いて、120000人の署名を集める事が出来たことはまだ記憶に新しい事です。このことひとつをとっても守る会の結束力の強さを改めて感じると共に、社会の共感を得るための地道な活動の大切さを思わずにはいられません。

そこで、なぜ施設が大切なのか考えてみましょう。

子どもは誰しも成人に達すれば、ひとりの社会人として親元から自立していきます。例え心身に重い障害を持っていたとしても全く同じことがいえるのではないでしょうか。生まれ育った家、親から自立して地域社会に歩み出す第一歩と捉え、そ自立の場として施設を選択する、それは自発的な「人生・生活様式の選択」であって、選択能力の乏しい重症児の場合に於いては親、または保護者が本人に代わって選択に任じる、当然のことです。これは親としての子育てや責任の放棄ではありません。また、在宅で介護に当たる親や家族の急病や、様々な事故に遭遇した時の「かけこみ寺」的な役割を果たすこと、そこに施設の重要性があるのではないでしょうか。そして施設があればこそ、今は大変でも何とか在宅で頑張れるという親の声も多く聞かれます。

過去に当会で実施したアンケート調査にも多くの親が記述していますが「子どもたちが、親亡き後も心豊かな生活を得ることができるのだろうか」「親亡き後は兄弟姉妹に託したい」そんな親の想いは、親の老いと共にますます大きくなってきています。親自身も高齢化が進み面会すらままならなくなり、認知症の症状がでてくるようになると、どうしても親族を頼りたくなることは当然でしょう。しかし、兄弟姉妹彼らにはそれぞれの人生があり、そうでなくても障害を持つ兄弟がいるという精神的な重荷を背負って育ってきたことをおもえば、親族を頼ることなく出来うる限り親の責任のもとに生活環境を整えておくべきだと考えます。

神奈川県重症児者を守る会会長 伊藤光子